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『僕は愛を証明しようと思う』を観て恋愛工学を実践しようと思い立った非モテの君へ

ついに恋愛工学のバイブル『僕は愛を証明しようと思う』がドラマ化されることになった。

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『僕は愛を証明しようと思う』は、主人公で弁理士の渡辺君が彼女にフラれたことをきっかけに、永沢さんというモテの師匠に出会い、恋愛工学を教わりながら、モテモテになっていく、というストーリーである。

 

僕には永沢さんのような師匠はいなかったものの、数年前から恋愛工学に熱狂され、恋愛工学を学び、恋愛工学を実践してきた。

ぼく愛がみんなに読まれ始めた頃、週刊金融日記の読者でもあった僕は裏でリアル渡辺くんのような活動をひとりでやっていたわけだ。

そして今では恋愛コンサルティング週刊恋愛サロンをはじめとしたリアル永沢さんのような活動もしている。 

 

おそらくドラマの影響で恋愛工学を実践しようと思う人は増えるだろう。

モテ男...いや同志が世の中に増えるのはとても喜ばしいことである。

が、残念ながら現実は小説のようにはうまくいかない。

自分自身の経験からも数々の恋愛コンサル生を指導してきた経験からも、そのあたりの一般人や怪しい恋愛指南者よりもこのことはよっぽど深く、そして正確に理解しているつもりだ。

美しいストーリーのフィクションとは違い、現実はときに厳しく残酷なものである。

 

少しでも世の中にモテ男が増え、多くの女性を幸せにしてくれることを願って、これから同志になるであろう彼らが必ずぶつかるであろう壁とその対処について記しておきたい。

 

1. 地蔵の壁

「どうやって話しかければいいですか?」
「このパブにどうやって行けばいいか、聞いてこい。女に道を聞くのは、ナンパの最も基本的なルーティーンだ」

 道を聞くぐらいとても簡単なことだと思った。しかし、いざ聞こうとすると足が動かない。僕はそのパブにどうやって行けばいいのか知っている。知っているのに、知らないふりをして聞くのは、別の目的があるのにそれを隠しているみたいで、後ろめたいというか、恥ずかしい。わずか数秒間のうちに、僕がいま彼女たちに声をかけない理由が、次々と頭に浮かんできた。僕が道端で固まっていると、ふたりはどんどん遠くへ歩いて行く。
「そんなところで突っ立ってて、まるで地蔵みたいだな」
「で、でも、道を知ってるのに、わざわざ聞くなんて、おかしくないですか?」
「言い訳はいいから、とにかく聞いて来いよ。これは業務命令だ」永沢さんは語気を強めた。
 しょうがない。これは業務命令で、会社で上司から命令されているんだ。そう考えると、不思議なことに道を聞くぐらいどうってことないという気がしてくる。最初に話しかけようとしたふたり組は、すでにどこかに行ってしまった。僕は別のふたり組を見つけ、歩いて行った。
「すいません」と僕は話しかけた。「街コンに参加している方ですか?」

主人公の渡辺くんが永沢さんと街へでてはじめてナンパするシーンである。

はっきり言おう。いきなりストナンはできない。

あっさり書かれているが、おそらく9割以上の男は街にでて女性の声をかけられず、帰路につくことになる。

しかも1回ではなく複数回である。

街で地蔵しては「僕はなにをしているのだろう?」と思いながら何の成果もなく家路につく経験を繰り返す。

これは永沢さんのようなパートナーがいても、である。

何度も恋愛コンサルティングで似たようなシーンに遭遇したが、ほとんどの人はナンパできない。

バーナンやパーティーなどナンパしてもOKが空気が全開の場所ですら難しかったりする。

つまり、いきなり自ら女性に声をかけオープンするのはめちゃくちゃハードルが高いのだ。

 

スライムやドラキーとすら戦ったことがないのに、ゴーレムに挑んでも討ち死にするだけである。

とにかくハードルは小さくしよう。

話しかけやすさの順でいけば

・回転寿司方式の婚活パーティ

・街コン

・立食形式のパーティーなどのイベント

・金曜夜のナンパスポット

でハードルが低い。

さらにここで答えを言っちゃうと、ACSモデルのAフェーズ(出会いのフェーズ)ではなく、Cフェーズ(デートのフェーズ)からクリアしていくべきなのだ。

その方がよりハードルが低い。

これに気づかず、特になんの成果もなく永遠に街を彷徨えば、メンタルが崩壊し、モテへの道を断念してしまう男は後を絶たないだろう。

 

2.LINEゲットの壁

 「じゃあ、LINE交換しようか?」と永沢さんが自分の携帯を取り出した。「あっ、はい」と恵子が嬉しそうに携帯を取り出す。僕と由佳も携帯を取り出した。
QRコード見せてくれる?」と永沢さんが言うと、「QRコードってどうやるんだったっけ?」と恵子が聞いた。「ちょっと見ていい?」と永沢さんが言うと、恵子が自分の携帯を永沢さんに渡した。永沢さんは自分の携帯のカメラで彼女の白と黒のモザイク模様のQRコードを読み取った。永沢さんは簡単にメッセージのやりとりをした。「あっ、スタンプ届いたよ」
 永沢さんのやり方を真似して、僕も由佳のLINEIDをすかさずゲットした。次に、永沢さんと由佳、僕と恵子もLINEIDを交換した。僕と永沢さんは彼女らに軽く挨拶をしてから、店員に促され、テーブルを後にした。
 ふたりの女性と知り合い、連絡先をゲットしたのだ!
 僕が乗った船は、ついに大海原に漕ぎだしたようだ。見習い船乗りの僕は、船頭の永沢の一挙手一投足から航海の仕方を学ぼうとしていた。

次にぶつかる壁は「どうやってLINEを聞いたらいいかわからない」だ。

僕らのように呼吸をするようにLINEのQRコードを出してはしまい...を繰り返している人間でなければ、どうLINEゲットすればいいのかまったく想像がつかないのである。

 

そもそも何のためにLINEを聞くのか。

食事に誘い、終いには男女の仲になるためである。 

ということは、やはり食事に繋がる会話の流れをデザインすべきなのである。

「なに飲んでるの?」

「白ワイン」

「ワインよく飲むの?」

「まあまあ飲むよ」

「そういえばこの前行った〇〇てお店ワイン美味しかったよ。特にご当地ぽい△△の✕✕ってやつが美味しかった」

「なにそれおいしそう」

「今度いく?都合良い日連絡するよ」

→LINEゲット。

 

「デートしたい」と思われるには初対面でなにを話せばよいか|オンク|note

 

3.デートの壁

   トライアスロンで知り合った女性たちに次々とメッセージを送った。僕は、ひとりの女性とデートの約束までこぎつけ、待ち合わせ場所の品川駅へ向かった。

実はLINEを聞いてもデートまで辿り着けないケースは結構な頻度である。

しかもこれは偶然ではなく、特定の男に限って9割近い確率でデートの約束が成立しないのだ。

この原因は恋愛経験の有無である。

ろくにデートすらしたことない男がどれだけAフェーズでうまく振る舞おうと、女という生き物はそれを見抜いてしまう。

渡辺くんがなぜうまくいったかというと、それはひとえにちゃんとした恋愛経験があったからである。

恋愛経験ゼロの童貞がいきなりナンパを始めると、LINEゲットするも永遠とデートできない状態に陥る。

やはりここでもAフェーズではなくCフェーズからスタートなのだ。 

 

4.セクトラの壁

  永沢さんは、それを見て満足そうな笑みを浮かべた。それから日曜日のデートの詳細を僕に聞いた。「ところで、日曜日のディナーで、お前がどういうことをしゃべって、彼女の反応はどうだったのか、詳しく聞かせてくれ」
 僕は包み隠さず全てを話した。思ったより、饒舌に喋れたこと、僕がちゃんとした仕事をしていることをアピールしたこと、そして、帰ろうとする彼女を引き止めて、品川の運河沿いでいっしょに散歩をしたこと、最後に家に誘ったこと。
「やっぱりな」と永沢さんが言った。「それじゃ、いつまでたってもセックスできないぞ」

永沢さんはデートでラポール形成について指南するが、ボトルネックは別のところにある。

拒絶の恐怖から自らセクトラ(セックストライ。家やホテルなどセックスに誘うことをいう)できないことだ。

拒絶される可能性を減らすには、物理的距離を縮める→手繋ぎ→キス→セクトラ、と段階を踏んでいく必要がある。

トラブルを避けるためにも必ずこのステップを踏むようにしよう。

 

5.彼女化の壁

  この大航海の記念すべき最初の女となった浜松町のOL・絵里子だが……。
 じつは、その後しばらく付き合った。
 あのトライアスロンの日から、ナンパの修行がはじまると思いきや、僕はまた、ひとりの女に非モテコミットしたのだ。僕にとって、彼女が全てだった。結婚したいと思っていた。僕には彼女だけだったが、彼女には僕だけではなかった。転勤した昔の恋人とも、つかず離れずの関係を続けていたのだ。絵里子が僕と付き合って一ヶ月後に、彼女の元恋人が東京に帰ってくることになった。僕はお払い箱にされてしまった。諦めきれずに何度も連絡したら、また、携帯電話は着信拒否にされ、LINEもブロックされた。僕はまったく進歩していなかった。
 永沢さんは、呆れていた。
 これだから非モテコミットってやつは……。

ぼく愛では「彼女が離れていかないよう複数恋愛して非モテコミットを避けよう」というメッセージが読み取れるが、複数恋愛は非モテコミット対策の本質ではない。

本質は「女よりいいものをもつこと」である。

女に非モテコミットしないために他の女を探し求めているようでは、結局女に振り回される人生なのだ。

セックスできるようになって女を攻略したようにみえても女に支配されているといっていい。

自分の人生を生きることがなによりも非モテコミットの解決策になるのだ。  

 

かつてモテは先天的なものであったが、今はそうではない。

正しい方法論で正しい試行回数を積めば、ほとんどの男がそれなりにモテるようになれる。

このブログの読者が挫折することなく同志として活躍してくれることを願ってやまない。

週刊恋愛サロン第74号『童貞卒業ベストプラクティス』

 

おしまい

 

参考

 

 

【書評】「知的戦闘力を高める 独学の技法」は複利で効いてくる

「独学」といえば「ある特定分野の知識や技術を習得するための勉強」というのが世間一般の認識だろう。

例えば、ビットコイン買ったときまとめて十冊くらい仮想通貨関連の本を買って読み漁るアレである。

しかし、山口氏の新刊『知的戦闘力を高める 独学の技法』によれば、独学とは広義の意味で「知的戦闘力を高めることがその目的であるという。

 

「独学」の目的である知的戦闘力とはなにか 

ではこの「知的戦闘力」とはなにか。

端的にいえば洞察力創造性である。

洞察力とはつまり、「目に見えない現象の背後で何が起きているのか?」「この後、どのようなことが起こりうるのか?」という二つの問いに対して答えを出す力のことです。

洞察力については特に問題ないだろう。

独学によって、ある分野の構造やメカニズムについて知っていれば、次になにが起こるか予測でき、それが直接的に成果に繋がる。

これは誰もが独学するうえで気づいていることだろう。

 

差がつくのは創造性の方である。

創造性とは「なにかをつなげること」なんだ。クリエイティブな人に対して、どうやって創造したのかを尋ねたら、彼らはちょっとバツがわるいんじゃないかな。なぜなら、実際になにかを作り出すなんてことはしていないから。彼らはただ自分の経験から得られた知見をつなぎ合わせて、それを新しいモノゴトに統合させるんだ。

新たなアイデアはパクみ合わせることで生まれる。

どんな斬新なアイデアであったとしても、究極的にいえば新しい言語体系でも作り出さない限り、そのアイデアの個々の要素自体はオリジナルではない。

あくまでも組み合わせがオリジナルなのだ。

さらにここでポイントなのは、創造性にはレバレッジが効くということである。

すべてのアイデアは、異なる2つの要素の組み合わせによって生まれると仮定した場合、10個の知識を持っている人と100個の知識を持っている人では、組み合わせによって得られるアイデアの数はそれぞれ45個と4950個となります。つまり、知識の量が10倍になると、その知識の組み合わせによって生み出せるアイデアの数は100倍以上になります。

独学によってもたらされる利点は、特定分野の洞察力よりもむしろ創造性が高まることにあるのだ。

 

知的戦闘力を高める11ジャンル

ではこの知的戦闘力、特に創造性を高めるにはなにを学べばいいのか。

山口氏は「知的戦闘力を向上させる」のに有用な分野として以下の11ジャンルを紹介している。

① 歴史
② 経済学
③ 哲学
経営学
⑤ 心理学
⑥ 音楽
脳科学
⑧ 文学
⑨ 詩
⑩ 宗教
⑪ 自然科学

まあいわゆる「教養」というやつである。

しかし、個人的にはこれら11ジャンルを頑張って学ぶのではなく、心惹かれる分野を突き詰めようとすれば、自ずと心理学や経済学などリベラル・アーツと呼ばれる分野に自ずと辿り着くように感じる。

合コンでゴールしようと思えば経済学のゲーム理論、デートでホテルに誘いたければ心理学、彼女からみえる世界を少し変えてあげたければ宗教に辿り着く。

知的好奇心さえ維持できれば、知的戦闘力は自ずと高まっていくはずだ。

 

 

創造性はメタな思考がカギ

創造性、すなわち「なにかをつなげて新たなアイデアを生み出す」にはおそらくメタな思考が関係している。

簡単にいえば、そもそも系の一歩引いた見方ができる、ということだ。

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このメタな思考は、①自分を客観視する、②知らないことを知る、③その概念自体がなにかを問う、④上位の目的を問う、⑤抽象化する、あたりが具体的なやり方なのだが、これらの幅を広げるには教養という土台が必要になってくる。

この教養こそがおそらく先に上げた11ジャンルなのだろう。

 

「独学の技法」は忘却を前提としたシステム

ただ当然のことながらこんな11ジャンルの内容など、人間の脳にストックできるはずはないので、山口氏は忘却を前提したシステムとして「独学の技法」を構築すべきだと述べている。

むしろ「インプットされた内容の9割は短期間に忘却される」ことを前提にしながら、いかに文脈・状況に応じて適切に、忘れてしまった過去のインプットを引き出して活用できるかがカギなのです。

そのシステムを彼は4つのモジュールに分けて考えているのだが、実は僕のやってることとかなり似ていた。

独学は大きく、「①戦略」→「②インプット」→「③抽象化・構造化」→「④ストック」という流れによって形成されます。
①戦略
 どのようなテーマについて知的戦闘力を高めようとしているのか、その方向性を考えること
②インプット
 戦略の方向性に基づいて、本やその他の情報ソースから情報をインプットすること
③抽象化・構造化
 インプットした知識を抽象化したり、他のものと結びつけたりすることで、自分なりのユニークな示唆・洞察・気づきを生み出すこと
④ストック
 獲得した知識と、抽象化・構造化によって得られた示唆や洞察をセットとして保存し、必要に応じて引き出せるように整理しておくこと

①戦略は「個人が金と女から解放され自由になること」「いまある目の前の生活が少してもよくなること」「頭がよくなること」などをテーマとして設定しているし、②はここ数年にわたる本とメルマガの大人買い、③抽象化・構造化はTwitterでのつぶやきやブログでの備忘録、そして④ストックは週刊恋愛サロンでも紹介したが、Kindleキャプチャ、紙の書籍書き込み、Evernoteへのメモである。

 

確かにここ数年でなんとなく洞察力は高まった感はある。

ふとした瞬間に「あ、これってこの前のあの本のあの話とまったく同じ構造だ」と解がみえたときの気持ち良さはたまらないものがある。

創造性の方はまだまだだが、おそらくこれから高まると勝手に思っている(笑)。

異なるものをざっと並べて観るのがポイントらしい。

 

「独学の技法」は巷によくある「短期でちょっと生産性が上がる」とかそういうライフハック的なものではないが、年単位で実行すればこれはかなり知的戦闘力が増す、再現性の高いメソッドなのではないだろうか。

 

 

おしまい

参考

 

うかつに忘年会を楽しみにしてはいけない。"非日常"推しに対する違和感

忘年会。

 

それはサラリーマンにとって、年に一度の盛大なイベントである。

(一度と言ってもメンバーを変えて何度も開催するのだが。。。)

幹事を担当する若手社員にとっては、これで評価が決まったりするわけだから、普段の仕事よりも忘年会タスクのプライオリティは圧倒的に高くなる。

 

忘年会は地獄絵図

そして、毎年この時期になると、普段まったく話したことすらないかわいい後輩が声をかけてくる、という一見逆ナンのような不思議な現象が起こる。

 

「あの...忘年会出席しませんか?人集まらなくて...」

 

忘年会を楽しみにしているおっさんたちから圧力をうけたのだろう。

欠席予定の人皆に頼んで回っているのだ。

 

かつて僕にも忘年会の幹事をしていたピュアな時期はあった。

しかし、そこで目の当たりにしたのは、 

・過去の栄光に永遠と語り続ける武勇伝JJI

・激務自慢に精を出すオレスゴイマネージャ

・まだそこまでオラオラできないがゆえに若手社員に心無いダメ出し心無い中堅社員から若手社員へのダメだし

という地獄絵図だった。

その記憶はいまでも鮮明に覚えている。

 

忘年会の目的とは 

忘年会とは、誰かが優越性を誇示するためにやるものなのだろうか。

そもそも忘年会は何のためにやるものだろう。 

忘年会(ぼうねんかい)とは年末に催される宴会の事である。一般的には、その年の苦労を忘れるために執り行われる宴会について言う。宗教的意味付けや、特定行事様式の無い日本の風俗の一種である。(Wikipediaより

 

"その年の苦労を忘れるために"

 

そう、忘年会は「苦労があること」が前提なのだ。

苦労に苦労を重ねた人たちが苦労を忘れるために催される飲み会なのである。

なぜおっさんがこれほどまでに忘年会を楽しみしているのか、僕はようやく腹の底から理解できた。

ろくに苦労してない自分にはそもそも忘年会への参加資格がなかったのかもしれない。

 

「忘年会好きおっさん」と「ここではないどこかへ連れてって系女子」の共通点

さて、ナンパをしていると、女性という生き物への理解がどんどん深まっていく。

そのなかで特に即日ゴールになりやすい子として、「ここではないどこかへ連れって系女子」というタイプがときどきいる。

 

彼女らの特徴は

・仕事が嫌い

・感情の起伏が激しい

・怪しいビジネスにハマりやすい

・結婚式の二次会(または帰りの女子会)で飲み過ぎる

・週末は「ウェーイwww」しないとなんだかもったいない気がする

などである。

 

要するに、ドリカムより西野カナに共感を覚えてしまうような子たちだ。

彼女らの日常はひどく退屈で楽しいことがまるでないので、"非日常"という言葉に弱い。

退屈な日常を離れ、どこか楽しい非日常を満喫したい。

いつも心の奥底でそう思ってるがゆえに「ここではないどこかへ連れてって系女子」なのである。

 

それで忘年会を楽しみにしてるおっさんはこの「ここではないどこかへ連れって系女子」に似てはいないだろうか。

彼らの日常は退屈で埋め尽くされているのだ。

毎日満員電車にゆられ、夜遅くまで働き、土日休んでまた月曜から出社する。

同じことの繰り返しに飽き、日常に意義や楽しさを見出だせないでいる。

そこでなんとか忘年会という"非日常"に楽しみを見出しているのではないだろうか。

 

日常の代償として楽しい非日常を追い求めるようでは根本的に人生は改善されない。

いま目の前にあるこの日常を楽しみに変えることでしか退屈な日常からは抜け出せない。 

 

まあとにかく楽しくやることだ。

 

 おしまい

 

 

参考文献

資格は本当に意味あるか。資格コレクターはメタゲーム敗者!?

「おまえ今期の目標に資格の取得がはいってないぞ!」

 

資格をほとんどもっていないオジサンマネージャから指摘がはいった。

おそらく自分の評価に影響するのだろう。 

 

でも本当に資格って必要なのだろうか。

これを機に考えてみよう。

 

資格で儲かるのは自分ではなく資格業者

そもそも資格は何のためにあるのか。

卑屈な自分が真っ先に思いつくのはこの理由だ。

そう、資格をつくっている業者が儲けるためである(笑)。

 

実は僕が働いているIT業界というのは資格だらけなのだ。

情報処理技術者試験(受験料:5,700円)、オラ○ルマスター(受験料:22,260円)、Javaアソシエイツ(34,230円)...etc

こうしたスキルアップ信仰によってサラリーマンの雀の涙ほどしかない手取りからさらにお金をまき上げようとどこも必死なのである。

それでこの資格たちを一生懸命勉強して合格したあかつきに、アサインされるプロジェクトでメインとなる技術がCOBOL※だったりするから世の中とは酷く残酷なものである。

※"シーオボル"ではなく"コボル"と読む。プログラミング言語の化石的存在。

 

資格の本質は第三者による専門性の保証

自分にとって資格はどんな意味があるだろうか。

結局のところ、資格とは第三者による専門性の保証である。

例えば、オ○クルの資格をもっていれば「こいつオ○クル最低限の素養はありまっせ!」とオ○クル社、すなわち第三者的機関が保証してくれるのである。

まあ要するにみえづらい専門性というものを"オ○クルマスター"とか"プロジェクトマネージャ"とかラベルをつけて可視化しているのだ。

 

だから企業は人を採用したり、プロジェクトメンバーを選んだりするときは、「今回のプロジェクトは大きな案件でJavaとオ○クルを使うから、プロジェクトマネージャとJavaアソシエイツとオ○クルマスターの資格取得者をアサインして…」みたいなやり方ができる。

専門性の中身がよくわかっていなくてもラベルをみれば良いわけだから採用する側からすれば楽ちんなのである。

おまけに第三者が専門性を保証してくれているので失敗したときの言い訳としても申し分ない。

 

ということは、資格をとればたくさん仕事がもらえてハッピーになりそうだが、実はここに落とし穴がある。

 

資格コレクターは陥る3つの落とし穴

1)資格は仕事の成果に直接的には寄与しない

実ほとんどの場合、資格を取得したところでそれだけでは目の前の問題は解決しない。

 

かつて僕の先輩にハイパー資格ホルダーがいた。

情報処理技術者試験は全てコンプリートしていたし、オラ○ルベンダー系の資格もいくつかもっていて、おそらく20ちかくはもっていたのではないだろうか。

しかし、資格は現実の前で無力である。

彼はクライアント先のスーパーアルファロジカルターミネータ部長から浴びせられる無理難題な要望に心を病み、再起不能になってしまった。

 

「理屈を知っていること」と「実行できること」はまるで違う。

ナンパに関する知識をいくら仕入れたところでナンパできるようにはならないのと同じだ。

現実世界に対処するのはペーパーテストを解くほど甘くないのである。 

  

2)資格は他人のルールで勝負するゲーム

資格をとるというのは他人が決めたルールで勝負することに他ならない。

要するに代替可能なのである。

人的資本の価値も需給で決まるので、もっと安い単価で働いてくれる資格保持者がいれば、事業者は当然そっちを雇うようになる。

既得権益に守られているか極めてハードルが高い資格でない限り、競争に巻き込まれるのが避けられないだろう。

つまりメタゲーム的な観点からするとほとんどの資格は微妙なのである。

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それによく考えてほしい。

恋愛シーンで「あたしの彼氏の条件はね。年収1000万、身長180センチ越えの細マッチョイケメン(ハァト)」と言われたら、あなたはこの女性を恋人として良好な関係を築くことができるだろうか。

おそらくできない。

ビジネスも意外とそんなもんである。

資格という肩書でしかビジネスパートナーを選べないような人と仕事してもだいたいうまくいかない。

あれこれつつかれて妥協に妥協を重ねたクソプロダクトが出来上がり、挙句の果てには責任のなすりつけ合いが始まる。

肩書きや資格にこだわるということは、自分の軸がないのと同義なのである。

 

3)資格は勉強のペースメーカーにはならない

「資格は勉強のペースメーカーになる」

一見まともっぽい主張である。

実は僕も以前にやろうとしたのだが、資格試験に申し込んでもまったく勉強しなかった(笑)。

残念ながら人間は必要性に迫られなければ勉強しない生き物だ。

資格を取得した先の強力なインセンティブを具体的にイメージできない限り、めんどくさい勉強を頑張れないのである。

資格がペースメーカーとして機能するのは、いきたい部署に異動できるとかやりたいプロジェクトに参画できるとかボーナスが跳ね上がるとか、そうした強力なインセンティブがあるときだけだ。

そこに繋がらない資格などただのラベル収集に過ぎない。

  

まとめると、

・資格取得が参入障壁となるビジネス(医者や弁護士など)のときのみ取得する

・それ以外の資格は基本的にはいらない

・資格に投入するコスト(主にお金と時間)にリターンが見合うときだけ取得する ※実際はほとんどない

というのが僕の「資格」に対する結論である。

 


おしまい

 

参考

 

人はなぜお金に嫌悪感を抱くのか。政治空間と貨幣空間のバランスを考える

ツイッターをマネタイズするか否か問題で議論が巻き起こっていたようなので、これを機に自分の考えも整理しておこうと思います。

 

結論からいえば、マネタイズしたければすればいい、くらいです。

まあどちらかといえば、自分は週刊恋愛サロンを書いているしマネタイズOK容認派?になるでしょうか。

 

ではなぜマネタイズを嫌悪する人と別でそうでもない僕のような人たちがでてきてしまうのか。

そもそもお金がなにから生み出されるかを考えてみるとよさそうです。

 

お金は社会資本があるところにしか生まれない

ドラッカーは「企業の目的は顧客を創造すること」というように、ビジネスはサービスなりプロダクトなりを買ってくれる相手がいなければ成立しません。

これは個人の商売というもっとミクロな視点でいえば、人との繋がりがなければ個人事業やスモールビジネスは成立しない、ということです。

この人との繋がりを主に社会資本といいます。

 

Twitterを導線にnoteを売ることを例に考えてみると簡単です。

フォロワー100人の人がすんごい素晴らしいnoteを書いたとしても買ってくれる人はしれてますが、一方でフォロワー1万人の人がまあまあのnoteを書けば結構売れてお金になるわけです。

フォロワーとは一種の社会資本なので、少なくともある程度の社会資本がなければお金が生まれないことが理解できます。

 

社会資本は政治空間と貨幣空間で構成される

人間は社会的な動物です。

どれだけ食べるものや寝る場所が確保されてようと、人との繋がりがなければ生きていけません。

社会資本のなかでも特に僕らにとって大切なのが家族や恋人との関係(愛情空間)で、次に大切なのがそのまわりにある会社の同僚や上司との交友関係(友情空間)です。この両者をあわせて政治空間といいます。

 

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(引用元:『(日本人)』, 橘玲

 

一方でこの政治空間のさらに先にはお金やお金に準ずる価値を媒介として繋がる関係があります。これを貨幣空間といいます。

コンビニでコーヒーを買ったり、居酒屋でビールを飲んだりできるのも、これはある意味お店を通して誰かとの関係があるからです。

最近の例でいうと、メルカリでなにか買ったり売ったりすればそれも貨幣空間としての関係にあたります。

普段の生活でほとんど意識していないですが、僕らはとても大きな貨幣空間のなかで生きていることになります。

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(引用元:『(日本人)』, 橘玲) 

 

政治空間のルールは平等、貨幣空間のルールは貢献

政治空間と貨幣空間ではルールが異なります。

政治空間のルールは平等です。

会社で自分だけ早く帰り副業で他の同僚よりたくさんのお金を手にしていれば当然のように妬まれるし、自分だけモテてかわいい彼女が何人もいればこれも当然のように妬まれます。

「おれは遅くまでこんなに仕事頑張っているのにおまえだけ…」

「おれは遅くまで彼女すらできないのにおまえだけ…」

と平等ではないことに憤りを感じるわけです。

 

それに対して、貨幣空間のルールは価値です。

結局のところ自分に期待以上に価値をもたらしてさえくれれば、裏でたくさんお金を儲けていようが、複数のかわいい彼女と付き合ってようが、自分に利害が関係なければ特に気にしません。

ある意味ドライに感じるかもしれませんが、利害が一致しない人とは繋がらない、というのが貨幣空間での基本的な考え方です。

 

人はなぜお金に嫌悪感を抱くのか

先に結論をいってしまうと、人間は政治空間(愛情空間や友情空間)に高い主観的価値を感じるように生物としてデザインされているからです。

もともと人間は狩猟時代から家族や村といった小さな群れをつくり、協力することで厳しい自然環境のなかを生き延びてきました。

そのためこの小さな群れからはじき出されることは、自らの死を意味します。

人間は村八分にされることを本能的に恐れているのです。

 

だから人間の主観的価値は貨幣空間よりも政治空間に重きがおかれるわけです。

貨幣ゲームよりも権力ゲームに身を投じるのは生物としてはとても理にかなった行動といえるわけです。

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そしてこの小さな群れは平等というルールで成り立っています。

言い換えると、これは共同体の和を尊び、愛情や友情に大きな価値をおく考え方です。

これは一種のワ○ピース的世界観といってもいいでしょう。

人がお金に嫌悪感を抱くのはこうした政治空間における価値観を壊すからだったのです。

 

それでも人はなぜお金に嫌悪感を抱くのか

ここまでがわりと一般的な話で、今回のマネタイズ問題の争点は「価値と信用をどこまでお金に変換するか」ということだと思います。

自分が創り出した価値と信用が一定水準を越えるとある程度お金に変換できるのですが、情報の非対称性を利用したりテクニカルなことをやれば、短期的には自分の生み出せる価値以上にお金を手にすることができます。

マネタイズ批判派が言いたかったのは、「自分のもってる価値と信用以上にお金を得ようとしてんじゃねえ!」ということだと思います。

なので長期的には価値×信用>お金の状態を保ちながら、個人事業なり副業なりを続けていくのがいいのではないでしょうか。

目の前の女にガッツついてはいけないように、目先のお金に飛びつかないことが重要です。

 

政治空間と貨幣空間のバランスを考える

長々と書いてきましたが、結局僕の社会資本に関する結論は、

・政治空間は彼女(愛情空間)のみ

・友情空間は基本的にいらない

・貨幣空間は広く緩いつながりを

です。

理由はシンプルで政治空間よりも貨幣空間の方が個人の自由と相性がいいからです。

それに利害が一致するからある程度信頼できるし、その方が確認したりチクチク言ったりコストも減らせるし、余計なことを考えなくても済むので視界がクリアになります。

個人がそれぞれ目的をもって、利害が一致すれば一緒にやって各々貢献する、そうでなければなにもしない。

ただそれだけ。

世界は意外とシンプルなのです。

 

 

おしまい

 

参考文献

 

 

 

「で、それって儲かるの?」とすぐ聞いちゃうオジサンはひとまず革命のファンファーレを読もう

「で、それって儲かるの?」

 

僕らのチームが考えた社内ベンチャーの企画は、オジサン役員のこのひとことで非承認となった。

まあ簡単にいうと予算がとれなかったわけだ。

 

ちなみに社内ベンチャーってなんぞという人はこちら↓

社内ベンチャー(しゃないベンチャー、英:intrapreneurship)とは企業が社内に設置している、あたかも独立のベンチャー企業のように新規事業を行う部門。 社内ベンチャーは自主的に行うという形で運営され、それに対して上部は全面的にバックアップしている。ー社内ベンチャー - Wikipedia

  

確かに ざっくりとしたビジネスモデルは考えていたが、その事業がお金を稼ぎ出すまでの道筋やその実現性をきれいに描けていたとはいえない。

理由は単純でとりあえず先に人と惹きつける魅力的なプロダクトやサービスを生み出しておいてマネタイズは後からでも余裕で実現可能だと考えていたからだ。

価値→金ではなく金→価値でいこうとするから、せっかくつくったおもしろいものが利害に歪められてうんこプロダクトやうんこサービスになり下がる。

 

こういうと、人間に備わった二元論的思考や「金は汚いもの」という洗脳的思想(俗にうんこフレームワークという)がはたらき、「ロマンとソロバンでいうところのソロバンばかり考えてるオジサンはクソ!」と過度な一般化をしがちだが、それは少しズレている。

 

結局お金と価値はどちらも大切であって、単に順番の問題なのである。

最初からマネタイズしようとすればうんこサービスに成り下がり人は集まらないけど、イケてるサービスを続けるためにはお金が必要だ。

要するに、事業を大きく育てたいのなら、この「価値→信用→お金」という順番を守るのが鉄則なのではないだろうか。

 

みたいなことを考えていたら、ちょうどキングコング西野さんも同じことを言っていた。

価値があるモノ(無料ではないモノ)を無料公開しているから、ファンが生まれ、巡り巡って、その声優さんにお金が落ちているわけだ。(中略)  一見無料のようだが、その実、マネタイズのタイミングを後ろにズラしているだけの話。入り口を無料にすることで、更に大きな見返りを狙っている。時間差でお金は発生しているのだ。ー革命のファンファーレ 現代のお金と広告, 西野 亮廣

 というわけで、僕はこの本を役員のオジサンたちに渡してこようと思います。

  

 

おしまい

 

参考

 

微動な人にも備わっている「多動力」

僕は多動というより微動な人間です。

常にめまぐるしく動いていろんなところに出かけているわけではありません。

動きすぎると疲れるからです。

特に人混みに行ったり、新しい人と何人も会わなければいけないところにずっといると、めちゃくちゃ疲れます。もちろん楽しいですが。

 

おそらく自分は外部からの刺激に敏感な人間で、1行動したら10くらい刺激を受けて抽象化してそのなかから3くらいの学びを得るタイプなんだと勝手に思ってます。

線形的な発想で行動を5に増やしたら学びも15になるかというとそうでもなくて、むしろ疲弊したり、思考が追いつかなかったりで、学びが3→1に減ることすらあるんですよね。

まあ要するに行動が増えすぎて集中的に調べたり考えたりする時間がなくなると僕はアホになるんです(笑)。

 

一方で俗にホリエモン教と呼ばれる意識高い系ビジネスパーソンは「おまえ多動力知らねえの!?早く読んだ方がいいぞ」などと言いながら、シンプルに自分の集中力がない言い訳として「多動力」というワードを多用します。

彼らにとって「多動力」は自らの集中力のなさを肯定するためのツールなのです。

 

しかし、僕は多動力と集中力と相反するものではなく補完的なものだと思うんです。

多動力か、集中力か。

こうした架空のトレードオフほど「うんこフレームワーク」の典型です。

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もちろん1日中集中できるに人間などこの世の中には存在しないので、集中と散漫(多動)を上手に使い分けることが、苦労せずして生産的な時間を最大化するには重要になってきます。

例えば、意志力がMAXな早朝は戦略や方針策定などの思考系タスクをあてて、意志力が枯渇する夜は顧客との接待にいく、などです。

つまり多動力は集中力と相反するものではなく、多動⇔集中を繰り返して互いを補完しながら、生産的活動の量と質を上げていくものなのです。

 

そう思ったからこの本を手にとったのですが、やはり僕の理解は合っていました。

「多動力」とは何か。それは、いくつもの異なることを同時にこなす力のことを言う。(多動力, 堀江貴文

僕はそれなりに女を口説いたり、株を買ってみたり、個人的にコンサル案件を請け負ってみたり、いろんなことに手を出しているという意味では多動力を発揮しているっぽいです。

物理的に動いていなくてもマルチタスク的にいろいろやってれば「多動力」なんですね。

 

というわけで、ナイトプールで「ウェーイwww」とかやりながら、それを「多動力です(๑• ̀д•́ )✧ドヤッ」と都合良く解釈することをたった今から禁止します(笑)。

「パリピがアクティブな消費的活動をたくさんやること=多動力」ではありません。

 

昔は人口増加や経済成長のおかげもあって、まじめに一生懸命頑張る量産型人間であればそれなりに価値を生むことができましたが、マジメが取り柄な人間はオワコンの時代になりつつあります。(社会人1年目に多いですねマジメ人間。。。)

 

興味ある分野にのめり込み、一定以上のスキルを身につけて、次にいく。

さらには異なる分野をいくつか繋げてみて、新しいものを創る。

こうした動きができる力こそまさに多動力であり、他人に貢献しながら楽しく生きるコツなのかもしれません。

 

僕はそもそも「アイデアを見つけたい」「人脈を広げたい」なんていう頭でっかちな考えをもって日々を過ごしてはいない。おもしろい人たちとおもしろい時間を過ごす。その結果、偶然のようにアイデアが生まれ、仕事につながり、遊びにもつながる。(中略)何か具体的な目的のための手段として人生を送ってはいけない。楽しむことだけがすべてなのだ。好きなことを好きなだけやっていると、手元に何かが残っているのだ。(多動力, 堀江貴文

 

参考文献

 

9割の人が陥る「うんこフレームワーク」とはなにか

数えてみたところ、僕はこの1週間の間に「うんこ」というワードをWeb上に10回以上打ち込んでいた。

これほど「うんこ」と言ったのは、小学2年生のとき以来だ。

小学生はなぜ「うんこ」を連呼するかというと、それは「うんこ」がなにげない日常生活の一部であるにも関わらず、気軽に口走ってはいけない違和感を感じているからである。

それをあたかも「おはよう!」みたいな感覚で、自然に「うんこ!」と声高に叫ぶことで違和感を解消し快感を覚えているのだ。 

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「うんこフレームワーク」も同じだ。

「言語化されていないなにかをラベリングするとみえるものは変わる」とよくいうが、

この「うんこフレームワーク」も僕が日々感じていた違和感の解消を促してくれたのである。

 

そもそも「うんこフレームワーク」のオリジナルは芳野さんである。 

 

これを機に僕は日常生活で目にする「うんこフレームワーク」に気づくようになった。

 

・好きか、嫌いか

・正義か、悪か

・お金か、やり甲斐か

社畜か、起業か

・外見か、内面か

リア充か、非リアか

・自分の幸せか、誰かの幸せか

 etc...

 

これらは全て「うんこフレームワーク」である。 

世の中はうんこ…ではなく、「うんこフレームワーク」に溢れている。

 

そもそも「うんこフレームワーク」の根底は、TAKERマインドであり、ゼロサムゲームであり、等価交換の概念である。

これはある意味メタゲームがヘタクソ、すなわち既に誰かが設定したルールのうえでしか物事を考えられない、ということでもある。

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当然ながら誰かが決めた物差しは、ほとんどの場合、学歴、年収、SNSフォロワー数など数字や肩書、役職などで目にみえるようになっている。

つまり、誰かが決めた物差しによって信用が可視化されているのだ。

それでこの信用の後ろ盾はなにかというと、社会が提示した常識であり、権力をもった国家であり、教育という名の洗脳である。

原則として、信用は創造した価値によって蓄積される。

しかし、世の中の90%以上の人(もちろん自分も含む)は価値と信用ではなく、この可視化された数字や文字列の方にブンブン振り回される。

あげくの果てにはこの数字や文字列が目的化し、自分に幸せや情熱を捧げる大切なものさえ見失う。

 

皮肉にもお金が嫌いな日本人が信じる学歴や年収といった物差しは、お金だけを目的にする与沢系情報商材屋とさして変わらない。

 

まとめると「うんこフレームワーク」とは、社会に提示された価値基準(表層的な数字や肩書き)にとらわれ、それゆえ架空のトレードオフに頭を悩まし、終いには全体のパイを増やすことを諦めてしまう思想なのである。

 

結局のところ「うんこフレームワーク」のもととなっているのは、中央集権的な構造である。

中央の権威によって、提示された価値基準に皆が従っているのだ。

そして、ビットコインを始めとする分散ネットワークによって、この中央集権的な価値感はここ数年で急速に変化していくだろう。 

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僕たちはもう、新しい「つながりの創造」大激戦のまっただ中にいるのだ。それに乗り遅れることは、社会的な死を意味するかもしれない。(なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?, 山口揚平)

 

おしまい

 

参考文献

信頼関係を築く方法は教祖さまに学べ!

「だーかーらーさー。なんでそれが正しいっていえんだよ。いやてめえの意見なんか聞いてねんだよ。ファクトとロジックで説明しろや」

 

この時期になると新人研修を終えて配属された1年目社員がこうして先輩に激詰めされているのをよく目にします。

それもそのはずで、顧客に高い高いお金を払ってもらうには、顧客よりも賢そうにみせなければならないからです。

論理的に考えることは、それが打ち手として有効であろうとなかろうと、とにかく自分たちを賢いっぽくみせるにはうってつけのツールです。

 

僕もかつて同じように詰め上げられ、ロジカルターミネーターとして育て上げられました。

しかし、僕は2年目からひとり顧客先に常駐することになり、意外と早く壁にぶち当たりました。

どれほど論理的で内容的によさげな提案であっても、顧客にまったく受け入れられないのです。

受け入れられないどころか、むしろ反発されることさえあります。

「おまえさんはなんにもわかっちゃおろん」と。

最初はただ顧客がバカなだけかと思っていたのですが、何度か似た状況にでくわすうちにどうやらそうではないことに気づきました。

その理由はとてもシンプルで顧客との信頼関係を築く前の段階で、具体的な提案を通そうとしていたからです。

これではどれだけ論理的で、顧客からのツッコミを跳ね返そうと、売れるものも売れません。

「どんなふうに提案するか」よりも「いかにして信頼関係を築くか」のが大切なのです。

 

恋愛も同じです。

男はホテルにいつも「どう誘うか」ばかりを考えがちですが、信頼関係築けていれば「今日は一緒にいよっか」という極めてシンプルなフレーズですんなりと連れ込めます。

ここでも「どんなふうに誘うか」よりも「いかにして信頼関係を築くか」が大切なのです。

 

ではその信頼関係とはどうやって築いたらいいのでしょうか。 

この信頼関係を築くノウハウについては、ほとんどの場合バイアスだらけのクソみたいなアドバイス、すなわちクソバイスで溢れています。

 

「おれの熱意が通じたんだ!」

「相手が勉強してやっとおれの価値に気づいてくれたんだ!」

「諦めず何度も告白したからだ!」

 

アホか、と。

 

信頼関係を築くには、きちんと実証された体系的な技術があります。

そう、教祖さまです。 ※つい最近みつけました(笑)

教祖の成立要件は以下の二要素です。つまり、「なにか言う人」「それを信じる人」。そう、たったのふたつだけなのです。この時、「なにか言う人」が教祖となり、「それを信じる人」が信者となるわけです。

教祖というとめちゃくちゃ怪しいですが、信頼関係を築くための方法論としてはうってつけなのです。例えばこれ。

まず、あなたがすべきことは、社会の「問題点」を発見することです。(中略)そして、次に「前提」を用意して下さい。仏教の輪廻転生や、ムハンマド使徒性に当たるものです。これは少々突飛なものでも構いません。ここまで出来たなら、後は「前提」を主張しながら、「問題点」を追及すれば良いのです。要するに、世迷いごとを口にしながら社会を口汚く罵っていれば良いということです。すると、どうでしょう。なんとインテリが勝手に「前提」と「問題点」の間を論理的に補完してくれるのです!

ヤバイガチのやつwww

かつて問題となったオ○ム真理教の信者になぜ高学歴なインテリがいたのか。

学年トップで超秀才だったあの彼はなぜたいして給料も高くないあやしいベンチャー企業に就職したのか。

このあたりの話がスッキリと理解できます。

インテリは総じてメタゲームが下手くそ、というかその存在すら気づいてないのがほとんどなので、自分の心を揺さぶるような問題点と前提を設定されると「これだ!」と飛びついてしまうわけですね。

あれ…なんかこれ週刊金融日記に似てますね。。。(笑)

 

とまあこの本の体系化された教祖マニュアルをみていくと、信頼関係を築くプロセスはシフォンケーキのようにふわふわして抽象度の高いものだけど、いくつかの要素がうま~く組み合わさり、その要素間の因果関係がうま~く作用していることがわかります。

ここでは紹介しないけど、実は僕の芸風を見事に言い得ている一節もありドキッとしてしまいました(笑)。

 

それで詳細は本を読んでもらうとして、ここで言いたいのは、結局この技術を何のために使うか、ということです。

この本に書いてあることを愚直に実行すれば、おそらく教祖になれるし、信者からお金を巻き上げることもできるでしょう。

教祖や信者という言葉を使わなかったとしても、似たような構造で高額な情報商材的なものを売りつけることもたぶんできます。

恋愛工学やナンパの技術だって、セックスを奪うために使うのか、相手を幸せにするために使うのか、その目的は人それぞれです。

問題は、私たちがその「世界」をどのように解釈するかということです。どう解釈したらハッピーに生きていけるのか、十人十色ですから、それは人によって違います。科学的に解釈するのも一つの選択ですし、キリスト教的に解釈しても、仏教的に解釈しても、イスラム教的に解釈しても構いません。それは自由ということになっています。「実はこれが正解でした!」というのが本当はあるのかもしれませんが、今のところ誰にも分からないので、自分がハッピーになれるものを選べばよいのです。教祖のお仕事は、そんな選択肢の一つを与えること、つまり、あなたなりの世界解釈を説くことなのです。

人生は複雑にみえていつだってシンプルです。

みんながハッピーになるために使えばいんです。

 

 

おしまい

 

参考文献

 

コンテンツづくりに役立つ「オモロイ」のシンプルな原則

なぜ「オモロイ」が必要なのか

「おれはオモロイかオモロないかで人を判断する。オモロイやつは合コンに呼ぶし、どれだけ頼まれてもオモロないやつは絶対呼ばん。それだけ。合コンメンバーの選抜は驚くほどシンプルなんや。」

昔こう言ってる合コン好きの同僚がいた。

おそらくこの示唆に富む発言は合コンだけでなくビジネスの分野にもあてはまる。

 

アメリカの社会心理学者、ゴールドハーバーが提唱するアテンション・エコノミーという概念がある。

インターネットに代表される情報発信媒体(メディア)が増えたことで、情報過多の状態が起こっており、そうした世界では人々の「アテンション(=関心・注目)」が情報量に対して稀少になることで価値が生まれ、交換財となりえるという概念。 関心経済、アテンションエコノミー、Attention Economy。(Wikipediaより)

インターネット普及によりそこらの日系メーカーがつくるクソアプリの200倍くらい使いやすく素晴らしいアプリをタダ乗りできるようになり、ますます組織から個人の時代に変化してきた。

それで個人でのスモールビジネスを成功させるには、一にも二にもまず集客である。

人して人を集めたり、人の時間を奪うためには注意を引くことが必要になる。

注意を引くためには、なにか"オモロイ"ことが必要になる。

テクノロジーは不可逆なものだ。

貨幣経済→関心経済→オモロイ経済への流れはもう誰にも止められない。

 

「とにかくマジメが取り柄です!」

 

こんな20世紀型量産人間はオモロイ経済で完全にオワコンだ。

昔は会社というローカルな共同体に価値観をすり合わせていくことでしか社会資本を獲得できなかったが、今はインターネットがあるからマジメさよりもむしろオモロさ勝負なのである。 

マジメに頑張っていれば仕事が与えられ、評価される時代は終焉を迎え、オモロない人の仕事は次第に減っていき、最終的にはなくなる。

 

オモロイ経済で勝者となるには、とにかくたくさんの"オモロイ"コンテンツという資産を蓄積することである。

世界一の投資家ウォーレン・バフェットが「ゆっくりお金持ちになるのは簡単。だから貯金は早く始めること」と説くように、オモロイコンテンツは早く貯めるに越したことはないのだ。

 

「オモロイ」を創り出すシンプルな原則

では「オモロイ」とは何なのか。

そのシンプルな原則をみつけてしまった。

 

オモロイ = 驚き × 共感

 

ちなみにここでいう「オモロイ」のニュアンスは、"interesting"よりも"funny"寄りをさす。

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まずはひとつ目の要素「驚き」について。

人は誰しも無意識のうちになにかしらの予想をしている。

この文脈だったら次はこうなるだろう、このワードがきたら次はこれがくるだろう。

意識せずとも過去の経験から勝手に自分の想定をおきながら話を聞いているのである。

行動経済学者ダニエル・カーネマンの学術的な言い方でいえば、意識的に言語化していないものの直感を司るシステム1は作動している状態、といっていい。

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この情報の受け手が無意識に感じている予想の範囲を越えることをここでは「驚き」といっている。

 

次にふたつ目の要素は受け手から作り手に対する「共感」である。

共感とは、他人事を自分事のように思うことである。

わかりやすくいうと、「あーなんかわかる」と思う感覚である。

 

これら2つの要素を同時に満たすと、人は「オモロイ」を感じる。

 

こう考えると、誰にでも「オモロイ」は簡単につくれそうである。 

ではなぜ僕らは「オモロイ」がつくれず苦労するのか。

この原則にはいくつかの前提があるからだ。

1.「驚き」と「共感」の振れ幅は受け手によって変わる

2.「驚き」と「共感」にはトレードオフの関係がある

3.フリ→オチの落差がある

 

1.「驚き」と「共感」の振れ幅は受け手によって変わる

あたりまえすぎるが、なにを意外と感じるか、すなわちどういう予想をするか、なに共感するかは受け手によって変わる。

受け手は過去の知識や経験に照らし合わせて共感するからである。
紳助がDVDの中で何度も言ってるように、知識や経験は人それぞれだからこそ「オモロイ」を届けるターゲットの選定が大切なのだ。

 

2.「驚き」と「共感」はトレードオフの関係にある

驚きは相手の想定した範囲を越えることであるが、その一方で共感は「あー、なんかわかる」である。

つまり、外にはみ出さないといけないけれど、はみ出しすぎてもいけない、というトレードオフの関係がある。

このちょうど「驚き」と「共感」の間がねらって打てないから、売れない芸人たちはいつももがき苦しんでるのである。

 

3.フリ→オチの落差がある

お笑いの分野にフリとオチという技術がある。

フリからは想定されてないであろう、オチにあたる情報を瞬間的に与えることで、「驚き」のキレを高めるやり方である。

段階的に情報を与えるとどうしても先を予想できてしまう。

Yahoo!知恵袋のこの例をみるとすごくわかりやすい。

本当に辛い毎日を送っています。
私は40過ぎて独身です。つい先日も、こんな事がありました。

ある日、弟夫婦の14歳になる長女の下着類が一切合切盗まれるという事件が起きたのです。あろうことか真っ先に疑われたのは私でした。40歳過ぎて独身だというだけで血の繋がった実の弟からこの私が真っ先に疑われたのです。肉親なのに。ずっと一緒に育った兄弟なのに。ただただ40過ぎて独身だというだけで実の兄である私が疑われたのです。とても悲しいことです。やりきれない気分です。ですが、実は盗んだのは私でした。(本当に辛い毎日を送っています。 - Yahoo!知恵袋

「ですが~」のところで急激にフリ→オチの落差が効いてるのが、理解できるだろう。



事例でみてみるオモロイの原則

それでは実際に事例でオモロイの原則に則っているか確かめてみよう。

事例1)なぜ「意識の高いデブ」はオモロイいのか

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なぜ「意識の高いデブ」がジワるのかというと、"意識の高い"までで、仕事に一生懸命なビジネスパーソンやスポーツにストックなアスリートを無意識にしているからである。しかし、この"意識が高い"とは対極にある、欲望に流され続けた結果の"デブ"できれいに裏切る。ここに「驚き」がある。
しかもこういう意識高いデブは日常生活でときどき目にするの「あー、いるわこういうデブ」と共感してしまう。
 
 
きれいに「驚き」×「共感」という構造になっているのが理解できるだろう。 
 

事例2)なぜ山ちゃんはオモロイのか

次は芸人の中でも抜群のセンスを誇る山ちゃんである。
彼の狙いはものすごく明確で、内向型人間(主にヲタクや非モテ)が感じる潜在的違和感を圧倒的なまでのパワーワードとロジックでバシバシ言語化していくことである。
「好物はオムライス。IQの低めな感じがかわいかったですね」
「髪型も個性的でね。頭の上にサドルみたいなののっかてますけども」
「あーゆー感じの女医さんっているんですね。ソフトオンデマンド以外にも」
こうしたパワーワードやいじりはディスる技術のフレーズとしてストックしておくと、有用かもしれない。 
 

事例3)なぜ一発屋芸人はオモロなくなるのか

最後にうまくいかない例もみておこう。
 「ヒロシです」、「ゲッツ!」、「そんなの関係ねえ!」
これまで数々の一発屋芸人が生まれ、消えていった。
彼らが消えた原因は、同じターゲットに向けてひとつのネタを使い続けたことにある。
予想はその人の知識や経験によって変わる。
知識や経験があれば「あーまたこれかはいはい」と驚きの度合いがどんどん減ってしまう。
同じネタをぶつけるならターゲットを変える必要があるし、ターゲットをそのままにするのであれば飽きさせないよう違うネタをほり込んでいかなければならないのである。
オモロイのは簡単。難しいのはオモロくあり続けることなのだ。
 

「オモロイ」は技術であり、ゆえに習得できる

僕は世の中のほとんどのことは、正しい理論をもとにトレーニングを積めば習得できると思っている。

「努力は必ず報われる」のではなく「"正しい"努力はときどき報われる」。

 

日々目の前で起こる現象をオモロくするにはどのようにコンテンツ化すればよいか。

このコンテンツは「驚き × 共感」の原則にあてはまっているか。

 

こう考えるトレーニングを繰り返せば、次第に「オモロイ」をつくり出せるようなり、オモロイ経済が訪れる頃にはそこそこの富豪になれるのではないだろうか。
 

 

おしまい

 

参考

あらゆるビジネスの鍵となる強いコミュニティを形成する5つのエッセンス

昨日帰り道電車のなかで衝動買いした本におもしろいヒントがあって、今後どこかで役に立ちそうので簡単にまとめておく。 

 

DeNAの子会社であるSHOWROOM株式会社でライブ動画ストリーミングプラットフォームを運営する、代表取締役社長前田裕二氏によれば、今後コミュニティづくりがあらゆるビジネスの鍵になると言う。 

コミュニティ形成は、これから、どんな種類においても、外せない鍵になると思っています。理由は2つあります。
 第一に、コミュニティには、現代人が価値を感じる要素が詰まっているからです。表層的なコンテンツ価値以上に、絆、すなわち、心への強い紐付きや、裏側にあるストーリーに価値を感じて人が消費することは、前述の弾き語りの事例でお伝えした通りです。
(中略)
 第二に、絆やコミュニティづくりの成功において、先天的な要因はほとんど関係ないからです。(中略)正しい方法論で十分量アクションを踏めば、誰もが良質な絆とコミュニティを生み出すことができて、その結果、現代に沿ったスタイルでビジネスを加速させることができます。

 

わかりやすいところでいえば、個人がインターネットを使ってなにかスモールビジネスしようとすれば、必ず集客が最初の壁になる。

この文脈でいえば、集客とはコミュニティを形成することとほぼほぼ同義だ。

コミュニティというとたいそうに聞こえるが、SNSであればフォロワーであり、サロンであれば参加者であり、有料マガジンであれば購読者である。

  

前田氏は、こうしたコミュニティを形成する人たちは、コンテンツ自体ではなく絆に人間的な繋がりに価値を感じ、それがビジネスになる、と指摘している。

そして、強いコミュニティになるには、5つのエッセンスが必要だという。

 

1.余白の存在

余白の存在といっているけど、これは要するに不完全さだ。

粗だらけで完璧すぎないからこそ、助けてあげよう、協力しよう、と仲間の共感を呼び、人を惹きつけ、そこに結束力が生まれる。

 

ちなみに某アプリが大人気なのも実はこうした理由からかもしれない。

おそらく僕にはコンテンツ(アプリの機能)としての価値しかみえていなかったのだろう。

 

2.常連客

強いコミュニティには、必ずといっていいほど核となる常連客が存在する。

一種のリーダー的存在といってもいい。

彼らに信頼できる繋がりがあるからこそ、互いにGIVEすることができ、閉じられたコミュニティ内でその恩恵を受けることができる。

これらの恩恵こそ強いコミュニティの価値ともいえる。

恋愛サロンなんかはその好例といえるのではないだろうか。

 

3.仮想敵

結束力ある強いコミュニティのときは必ずといっていほど、仮想敵が存在する。

それはツイッター界隈でいえば、クソリプツイッタラーであり、有料マガジンであれば「こんなもの価値ねえだろ」と煽ってくる輩たちだ。

実は足をひっぱろうとする彼らの存在が、皮肉にもそのコミュニティの結束を強めているのである。

ちなみに先にあげたサイボ○ズ の件では、じじいたちの仮想敵はまさにサイボ○ズを廃止しようとする自分だったのだろう。

 

4.秘密・共通言語

これは誰もが理解しやすいだろう。

普段に仕事において、会社や業界のなかでも見積もり方法を秘密にしたり、専門用語が共通言語として頻繁に使われる。

いまやハイスペ集団ともいえる金融日記コミュニティでも、スタティカル・アービトラージや非モテコミットなど恋愛工学タームが使われていることからも容易に理解できる。

 

5.共通の目的

まあこれはあたりまえの話である。

ビジネスでも合コンでも誰かとなにかを一緒にするときは利害が一致することが大前提である。

そうでなければ、どちらかがどちらかのパイを奪う構造になり、めんどくさいことになりかねない。

相手にメリットがないのに「協力するよ」などといってくるヤツはまず怪しいので気をつけよう。

だいたいアム○ェイか、情報商材屋か、女の子紹介してほしい、のどれかである。

 

 

というわけで、複数人でビジネスをやる、なにか目的に向けて一緒に行動する、というときは、この5つの視点でみればうまくいっていない理由や対策がみえてくるかもしれない。

 

参考文献

 

 

スマートウォッチ導入に至る思考プロセスを書き記してみた〜Pebble Time Roundはまあまあいい!~

なぜ高級ぽい腕時計からスマートウォッチに踏み切れたのか

スマートウォッチ。

それは現代の技術を結集した素晴らしい代物です。

スマホと連動することで、腕時計なのに「これから雨降りそうやで!」と事前に知らせてくれたり、「おまえ運動不足やねん」と世話を焼いてくれたり、「今日は19時からデートかいな」と羨ましがってくれたりします。

そんな素晴らしい未来を描いてくれるスマートウォッチですが、実は導入するには少し勇気が必要でした。

 

僕はかつて高級ぽい腕時計をしていました。

なぜならクライアントが腕時計をみているからです。

高そうな腕時計というのは権威の象徴であり、いかにも仕事ができそうな印象を醸し出します。

これをゲーム理論の用語でシグナリングといいます。

オンクさんは高そうな腕時計してる→稼いでいるから→稼いでるということは仕事のクオリティも高いはず、と勝手に信頼が独り歩きします。

 

さらに女の子も腕時計をみていたりします。


「その腕時計かわいいね。センス良いなと思って」


そう、ハイスペシグナルです。

高級ぽい時計をすることでハイスペ感を醸し出し、ベッドインの確率を格段にアップさせることができます。

 

高級ぽい時計で仕事も恋愛もうまくいく。

 

なにも無理してスマートウォッチを買う必要はまったくなさそうです。

むしろこの高級ぽい腕時計を使い続けた方がいいのではと思うくらいです。

しかし、あるとき僕は気づきました。

こうして高級ぽい腕時計をきっかけに近寄ってくる人にはろくなやつがいないということに。

高級ぽい時計に言及してきたクライアントはトラブルが起きたときなにも決断しようとしません。あげくの果てには自分の責任範囲を放棄し、濡れ衣を被せようとさえしてきます。

女も同様です。ハイスペシグナルに引き寄せられた女の子は葉山のホテルやロブションに連れてけとうるさいだけでなく、化粧ポーチやアクセサリー忘れの罠をも仕掛けてきます。

 

つまり、自分の考えなしにやれブランドだ、やれハイスペだと飛びつく人たちと一緒にいても最終的にはいいことないのです。

 

というわけで、僕は心置きなくスマートウォッチに買い換えることを決意できたのでした。

 

 

スマートウォッチクソダサ問題

しかし、次の問題が起きました。クソダサ問題です。

アップルウォッチをはじめとしたスマートウォッチはクソダサいのです。

 

 

ダセェ、ダサすぎる。。。

この大きな黒飴、もしくはでっかいカナブンを彷彿とさせるシルエット。

この圧倒的なダサさからどうしてもアップルウォッチ購入には踏み切れませんでした。

こんなのではクライアントも女の子も逃げていってしまいます。

 

ただ次から次へと予想してない問題が起こるのはどんなプロジェクトでも同じです。

僕は代替案を探しました。意外と簡単にみつかりました。

 

 

そうだよ!これこれ!

こういうスタイリッシュなスマートウォッチをおれは心から求めていたんだ!

しかし、です。

世の中はそう甘くはありません。

うまい話には必ずといっていいほど裏があります。

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しかもググったら似たような話はたくさんあったし、フォロワーの購入者とおぼしき方からもこうした内容のリプライがありました。


もはやスマートウォッチクソダサ問題は暗礁に乗り上げました。

どれだけ筋肉を鍛えていようと、どれだけ完璧なユニクロファッションに身を包もうと、腕にでっかい黒飴をつけているような男はモテません。

僕の今まで大切にしてきたモテに対するアイデンティティはスマートウォッチを導入したい欲で揺らぎ始めました。

 

小一時間ほど悩んだ挙句、僕は思いつきました。

 

「Pebbe time roundならベルト変えればそこまでダサくねんじゃね?」

 

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うまく問題解決できたときの解は数式にしてもプログラムにしても業務フローにしても美しいものです。

こうした美しい答えを導き出せてこそ真のプロフェッショナルです。 

しかし僕はアマフェッショナルぶりを発揮し、組み合わせてなんとかダサさをゴマかすという苦肉の策にたどり着いたのでした。

 

 

【結論】Pebble Time Roundはまあまあいい!

レビューっぽい話をすると、Pebble Time Roundはまあまあいいです。

1.クソダサ問題

 高級ぽさはまったくないけど、黒飴に比べればそこまで悪くないですね。

 

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ちなみに先日バーでナンパしてたらこんな事象も発生しました。

僕がイケメンだということを差し引いたとしても、思いのほか女の子からのウケはなかなかいいようです。 

 

2.Pebbleでできること

それでPebbleでなにができるかというと、基本はiPhoneの通知を飛ばせます。

・株の約定→通知

・雨が降りそう→通知

・もうすぐ終電→通知

・Googleカレンダーの予定→通知

・LINEやTwitterタイムラインの表示(リスクしかないので非推奨)

 

あとは日々の運動量を睡眠を計測してくれます。

Pebbleアプリ側で「もっと運動増やしたい」と設定すれば「いい感じだよ」とか「もうちょい歩いた方がいいよ」とかおせっかいしてくれます。

 

3.その他留意点

スマートウォッチで心配なのが電池持ち具合です。

Pebble Titme Rooundは15分ほどでフル充電、丸2日持ちです。

僕は仕事柄PCで作業することが多いので、その間に繋いで充電できて今のところ電池切れで困ったことはないですね。


他のは使ったことないけど、スマートウォッチを考えるときの選択肢のひとつとしてはまあまあ良いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

おしまい

オンクのnote人気売れ筋ランキング

本当のことを言うと人は怒ります。

バカにバカと言えばバカは怒るし、ブスにブスと言えばブスは怒ります。

noteに関しても同様です。

もし女性がみたら「そんなわけねえだろ!キモい!死ね!」と間違いなく怒ります。

自分はテクニックなんかで股を開かない、特別な存在だと思いたいからです。

真実はとても残酷なものです。

何ものにも代えがたい愛するパートナーでさえ、極めて合理的な理論と技術で手に入れようとするからです。

しかし、こうした理論と技術が生まれたのは深すぎる愛をもった、たくさんの恋愛プレイヤーがたくさんの失敗をしてたくさんの涙を呑んできたからに他なりません。

これらの理論と技術は女性を幸せにするための正しい愛し方です。

まだその概観すらふわふわして掴めない男性にとっては、愛し方を理解する、さらには自分を変えるきっかけになるかもしれません。

 

というわけで、今まで本当のことを好き放題書いてきたnoteを売上ごとに集計してみました。

やっぱり1位はアレでした。 

 

第10位:超速でスキルを獲得するための考え方~恋愛プレイヤーレベル別スキルマップ~

ゴールまでの道筋を描けるようになるには全体像の理解が不可欠です。

モテに必要なスキルをACSモデルのフェーズごと、スキルレベルごとに整理しました。

さらに比較対象として、非モテがやりがちなアクションを非モテっぽい文字色であげています。

デートでとりあえず水槽のある居酒屋に行けばいいと思ってる人は要注意です(笑)。

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第9位:グダを発生させず美女を家に連れ込む方法

上級プレイヤーや凄腕ナンパ師たちは初回セックスまでにたくさんの罠をしかけています。

そのなかでもデート中の会話でしかける罠の原理や使用例について解説しました。 

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第8位:保存版!連れ込みルーティーンコレクション

 デート終盤に家やホテルへの連れ込みを打診することを俗にセクトラ(セックストライ)といいます。

初級プレイヤーのほとんどは、このセクトラができないという課題に直面します。

このセクトラ分野に関しては、アイスクリームルーティーンなどをはじめとするいくつかのルーティーンが開発されているものの、その場の雰囲気や文脈、自分のキャラに会ったものをチョイスすることが成功(性交)率をアップさせます。

このnoteでは、デート中、誘うとき、グダられたときの3つのタイミングに分けて、連れ込みルーティーンを整理してます。

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第7位:女心をつかむコールド・リーディングに必要な2つのフレームとその使い方

コールド・リーディングとは、事前の準備なしで(コールド)、相手の心を読み取ったかのようにみせる(リーディング)技術の総称です。

簡単にいってみれば、一種の高度なコミュニケーションスキルです。

女の子に「この人他の人と違うかも」と思ってもらうのに便利なフレームと、実際にコールドリーディングをやるときの3ステップを説明してます。

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第6位:「女の最終テスト」傾向と対策〜Sフェーズ編〜

ベッド際で出題される最終テストの出題例とその回答例を厳選しました。

「まだ逢ったばっかだしダメだよ」、「付き合ってないからエッチしない」、「彼氏(または夫)がいるの」などを集録。

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第5位:「デートしたい」と思われるには初対面でなにを話せばよいか

男には「女の子となにを話していいかわからない」という悩みがあります。

かといってむやみに自分の得意な話ばかりしてもただのイタイヤツになってしまいます。 

しかしこのなにを話せばいいか、には明確な答えがあります。

初対面で振った方が良いテーマや会話の流れ、それでもうまくいかないときの対処法をまとめています。

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第4位:「女の中間テスト」傾向と対策〜Cフェーズ編〜

 デート時に女から出題される中間テストの代表的な出題例と回答例をまとめました。

「彼女いるの?」、「好きな女性のタイプは?」、「前の彼女とはなんで別れたの?」など計5問を集録。

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第3位:恋愛シーンで必要な観察力とはなにか~脈ありサインの読み取り方と応え方~

脈ありサインの考え方や、家に誘う際などの行動にうつすときの判断基準の目安が書いてあります。

 

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第2位:非モテが人生を変える30の習慣リスト

大きな変化をもたらしたいときこそ小さな習慣を変えるべきです。

非モテがどんなに強い気持ちをもってしてと、いきなり渋谷のセンター街でストナンしているようでは秒で心が折れます。

まずは小さな習慣をひとつずつ変えることが遠回りなようで実は近道だったりします。

非モテにありがちな習慣とそれをどう変えていくのかを自己啓発、お金、マインド、時間術、人間関係、健康の6カテゴリに分け、レベルごとにまとめています。

行き詰ったら日々の習慣を振り返ってみるといいかもしれません。

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第1位:永久保存版オンクの「脈ありサイン・ダイアグラム」

まさに今までのモテ男たちの英知が結集された1枚といっていいでしょう。

結局経験値がないのなら判断のよりどころとなるのは、この脈ありサインたちです。

スマホに保存してデート前に何度も見返しましょう。

印刷すると誰かにみられたとき恥ずかしいのでスマホに保存推奨です。

note.mu

 

集計してみてわかったのは、やっぱりみんなナンパではなく恋愛がしたい、ということです。

男であれば誰もが「ヤリたい放題ヤレたらどんなに素晴らしいだろう」と妄想するけど、意外と心の奥底ではそんなにいいものではないと気づいているのかもしれません。

やっぱり人生をともにする素敵なパートナーがみんなほしいということでしょうね。

 

おしまい

幸福の「資本」論で読み解くナンパ師と恋愛工学生の違い

つい先日、橘玲氏の新刊『幸福の「資本」論』を読んでいて、こんな一節を目にした。

ジェイコブズは古今東西の道徳律を調べ、人類のつくり出した2種類の相異なるモラル体系を抽出します。これが市場の倫理と統治の倫理ですが、かんたんにいえば権力ゲーム(武士道)とお金儲けゲーム(商人道)のルールです。

権力ゲームは戦国時代や三国志の世界で、その目的は、集団のなかで一番になること(国盗り)と、異なる集団のなかで自分の集団を一番にすること(天下平定)です。もちろんみんなが勝者になれるわけではありませんから、集団のなかでどのように振る舞うかもこのゲームでは重要になります。この権力ゲームの行なわれるフィールドが政治空間です。

それに対してお金儲けゲームの目的は、与えられた条件のなかでもっとも効率的に貨幣を増やすことです。権力ゲームは勝者総取りが原則ですが、お金儲けゲームはなにがなんでも一番を目指す必要はありません。べつに世界一のお金持ちになれなくても、ほぼほぼ裕福な暮らしができればみんなハッピーなのです。 このゲームのフィールドが貨幣空間になります。

 

そう、これはナンパ師と恋愛工学生の違いをもののきれいに説明している。 

さらに橘氏はこう続ける。

政治空間には愛情や友情だけではなく、嫉妬や憎悪、裏切りや復讐などのどろどろとした感情が渦巻いています。恋愛から戦争まで、人間ドラマのすべては政治空間で繰り広げられるのです。

それに対して貨幣空間はお金を介したコミュニケーションなので、ものすごくフラットです。いつも買い物をする八百屋のおじさんに愛情や憎悪を感じるひとはいません。通販でモノを買う場合は、相手が何者かなんて考えもしないでしょう。この冷淡さがあるからこそ、貨幣空間は無限に広がっていけるのです。

ナンパ師は権力ゲームに参加し、政治空間を形成する。
いかに短時間、低コストで誰もが羨むようなモデルやアイドルなどといった肩書きの美女を抱けるか、さらにはそれによって自分のオスとしての高い地位を示すことができるかに全身全霊を注ぐ。必要とあれば他人から奪ってでも美女を抱こうとする。一番になることがナンパで取り組むべき命題であり、それこそが本能によるものだからだ。

 

一方で恋愛工学生は金儲けゲームに参加し、貨幣空間を形成する。「ひとまず童貞を卒業したい」、「彼女や結婚相手がほしい」、「ナンパできるようになりたい」など自分のゴールを達成さえすればOKなので、それぞれ行動基準に従って恋愛し、利害が一致したときのみ協力する。自分がデート打診して断られた女を誰かにパスしたり、恋愛市場の歪みをみつければそれをシェアしたりして、それぞれのゴールを達成しようとする。みんなが幸福になることが彼らが取り組むべき命題だからだ。

 

要するにナンパ師と恋愛工学生でなぜか話が噛み合わないのは、やってることは同じようにみえても参加しているゲームがまったく異なるからだったのだ。

誤解のないようにいっておくが、別にどちらが良いとか悪いとかそういうことを言いたいのではない。

なにを重視するかが違うだけである。

 

 

ちなみに"幸福"側のゴールを設定すると、恋愛をどう位置づければいいかがみえてくる。

橘氏いわく、幸福な人生の条件とは①自由、②自己実現、③共同体=絆の3つであり、それに対応する①金融資本、②人的資本、そして③社会資本の3つのインフラをどのくらい築けるかが幸福な人生を左右する。

そして、その3つの資本の最適戦略は以下のようになる。

①金融資産は分散投資する。
②人的資本は好きなことに集中投資する。
③社会資本は小さな愛情空間と大きな貨幣空間に分散する。

ひらたくいえば、恋愛は社会資本のうち政治(愛情)空間を満たすものである。

政治空間を大きくしすぎると、たいていの場合そのしがらみに囚われ、幸福感を毀損する。

稼げたりモテたりするようになると、よく金や女を奪われたり足を引っ張られるのは、政治空間が紛れもなく政治空間が大きすぎるからである。

つまり、自分を認めてくれる政治(愛情)空間は小さくていい。

短時間で美女を抱けるスゴさを多くの人に誇示しなくとも、数少ない心許せるパートナーで愛情空間を満たし、残りは利害が一致すれば協力する貨幣空間で社会資本を満たしてしまえばいい。

僕らは本能を突き詰めても幸福になれるようにデザインされてないのだから。

 

参考文献 

"おじさん"が絶対に働き方を改革できない理由

今流行りの働き方改革。

ある働き方改革推進委員長のおじさんはキックオフで意気込みを語った。

 

「働き方改革については全身全霊、本気で推し進めていく所存でございます!ぜひみなさまご協力をよろしくお願いします!」

 

ひとりのおじさんが本気で今までの働き方を変えようとしている。

しかし残念ながらおじさんは働き方を改革することは決してできない。

なぜなら"おじさん"だからだ。

 

"おじさん"とは

ここでいう"おじさん"とは単に年齢ではなく、以下のような特徴を踏まえたおじさんである。

・変化やリスクを嫌い、目的の達成よりも責任の回避を優先する

・大変でつらい仕事を我慢して頑張る自分が好き

・自分より早く帰る人が許せない

・飲み屋での会話は7割以上が不平不満や愚痴

・口を開けば二言目には「しかたない」で思考停止

要するにマインドが"おじさん"という意味だ。

 

働き方改革とは何なのか

そもそも働き方改革とは、生産性を上げるのではなく組織と個人間の利害の対立を解決することだ。

もっといえば、今までつらく苦しいものと捉えてきた仕事を楽しいものに変えることである。

 

お金をもらうために仕事をする時代は終わった。

というか、これまではお金のをもらうために我慢して一生懸命働いていれば、給料が上がり、定期預金の利息がつき、その金を使うことで幸せを感じられたからそこまで考えなくてもよかったのだ。

しかし、今はモノやサービスに溢れ、ただ頑張るだけではそれらが成立しなくなっている。

当然企業の業績が悪くなれば税収も減るので、国が働き改革を推すにはおそらくそうした背景があるのだろう。

 

仕事は苦しく大変な我慢するものという洗脳

"おじさん"はなぜかすぐに働き方改革→残業削減→生産性向上という罠にとびつく。

「生産性をあげよう!生産性が上がれば残業が減り、ワークライフバランスがとれた、素晴らしい未来が待っている!」

と言わんばかりに。

この根底には、仕事を歯を食いしばって苦労しながらやる大変なもの、と教えこまれてきた、いや、洗脳されてきた”おじさん"マインドがある。

 

問題なのはワークとライフのバランスなのではなく、ワークとライフの利害が対立していることだ。

ワークを楽しくすれば、それがライフとなり、またさらにそのライフからワークが生まれる。

働き方改革は、ワークとライフの境界線をいかに曖昧にするかが勝負なのだ。

逆にいえば楽しくすることさえできれば、結果的に生産性は上がる。

ポジティブな状態の脳は ネガティブな状態の脳より31%生産性が高くなります。販売で37%成績が上がります。ネガティブやニュートラルでなくポジティブなときに 医者は19%早く正確に 診断するようになります。これは法則を反転させられることを示しています。現状に対してポジティブになることさえできれば脳はより熱心に速く知的に働きその結果としてより成功するようになるのです。 (引用元:TED Talk Subtitles and Transcript "ショーン・エイカー 「幸福と成功の意外な関係」")

 

"おじさん"が働き方を改革できない理由

しかし、この仕事を楽しくすることは"おじさん"には絶対にできない。

絶対に、だ。

それにはちゃんとした理由がある。

 

オランダの動物行動学者フランス・ドゥ・ヴァールは、2匹のサルの一方にキュウリを、もう一方にはブドウを与え、サルに平等という概念が備わっているかを調査した。

彼の仮説どおり、キュウリを与えられたサルは不公平さにブチキレた。 


Two Monkeys Were Paid Unequally: Excerpt from Frans de Waal's TED Talk

 

"おじさん"もこのキュウリを投げ返すサルと同じなのである。

「オレたちはつらい思いをして歯を食いしばって仕事してきたのに、楽しく仕事をするなどけしからん!不公平だ!」

そう思うのだ。※もちろん本人たちがそれを自覚しているわけではない

「仕事はつらく苦しいもの」として数十年頑張ってきた前提を覆すことは、自分の歩んできた人生を否定してるも同然なのである。

 

"おじさん"にならないために

結局のところ、平等なんてこの世の中のどこにも存在しない。

生まれつき裕福な人もいれば貧乏な人もいるし、頭の良い人もいればバカな人もいる。

モテる人もいればモテない人だっている。

僕らは本能的に平等を求めるようプログラムされているが、返ってそれは幸せを遠ざける。

大切なのは感情の赴くままに他人と比べることではなく、一歩ひいて過去の自分と向き合うことではないだろうか。

 

僕は楽しく働ける側の"おじさん"になりたい。

 

 

参考文献