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人はなぜお金に嫌悪感を抱くのか。政治空間と貨幣空間のバランスを考える

ツイッターをマネタイズするか否か問題で議論が巻き起こっていたようなので、これを機に自分の考えも整理しておこうと思います。

 

結論からいえば、マネタイズしたければすればいい、くらいです。

まあどちらかといえば、自分は週刊恋愛サロンを書いているしマネタイズOK容認派?になるでしょうか。

 

ではなぜマネタイズを嫌悪する人と別でそうでもない僕のような人たちがでてきてしまうのか。

そもそもお金がなにから生み出されるかを考えてみるとよさそうです。

 

お金は社会資本があるところにしか生まれない

ドラッカーは「企業の目的は顧客を創造すること」というように、ビジネスはサービスなりプロダクトなりを買ってくれる相手がいなければ成立しません。

これは個人の商売というもっとミクロな視点でいえば、人との繋がりがなければ個人事業やスモールビジネスは成立しない、ということです。

この人との繋がりを主に社会資本といいます。

 

Twitterを導線にnoteを売ることを例に考えてみると簡単です。

フォロワー100人の人がすんごい素晴らしいnoteを書いたとしても買ってくれる人はしれてますが、一方でフォロワー1万人の人がまあまあのnoteを書けば結構売れてお金になるわけです。

フォロワーとは一種の社会資本なので、少なくともある程度の社会資本がなければお金が生まれないことが理解できます。

 

社会資本は政治空間と貨幣空間で構成される

人間は社会的な動物です。

どれだけ食べるものや寝る場所が確保されてようと、人との繋がりがなければ生きていけません。

社会資本のなかでも特に僕らにとって大切なのが家族や恋人との関係(愛情空間)で、次に大切なのがそのまわりにある会社の同僚や上司との交友関係(友情空間)です。この両者をあわせて政治空間といいます。

 

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(引用元:『(日本人)』, 橘玲

 

一方でこの政治空間のさらに先にはお金やお金に準ずる価値を媒介として繋がる関係があります。これを貨幣空間といいます。

コンビニでコーヒーを買ったり、居酒屋でビールを飲んだりできるのも、これはある意味お店を通して誰かとの関係があるからです。

最近の例でいうと、メルカリでなにか買ったり売ったりすればそれも貨幣空間としての関係にあたります。

普段の生活でほとんど意識していないですが、僕らはとても大きな貨幣空間のなかで生きていることになります。

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(引用元:『(日本人)』, 橘玲) 

 

政治空間のルールは平等、貨幣空間のルールは貢献

政治空間と貨幣空間ではルールが異なります。

政治空間のルールは平等です。

会社で自分だけ早く帰り副業で他の同僚よりたくさんのお金を手にしていれば当然のように妬まれるし、自分だけモテてかわいい彼女が何人もいればこれも当然のように妬まれます。

「おれは遅くまでこんなに仕事頑張っているのにおまえだけ…」

「おれは遅くまで彼女すらできないのにおまえだけ…」

と平等ではないことに憤りを感じるわけです。

 

それに対して、貨幣空間のルールは価値です。

結局のところ自分に期待以上に価値をもたらしてさえくれれば、裏でたくさんお金を儲けていようが、複数のかわいい彼女と付き合ってようが、自分に利害が関係なければ特に気にしません。

ある意味ドライに感じるかもしれませんが、利害が一致しない人とは繋がらない、というのが貨幣空間での基本的な考え方です。

 

人はなぜお金に嫌悪感を抱くのか

先に結論をいってしまうと、人間は政治空間(愛情空間や友情空間)に高い主観的価値を感じるように生物としてデザインされているからです。

もともと人間は狩猟時代から家族や村といった小さな群れをつくり、協力することで厳しい自然環境のなかを生き延びてきました。

そのためこの小さな群れからはじき出されることは、自らの死を意味します。

人間は村八分にされることを本能的に恐れているのです。

 

だから人間の主観的価値は貨幣空間よりも政治空間に重きがおかれるわけです。

貨幣ゲームよりも権力ゲームに身を投じるのは生物としてはとても理にかなった行動といえるわけです。

www.onclog.com

 

そしてこの小さな群れは平等というルールで成り立っています。

言い換えると、これは共同体の和を尊び、愛情や友情に大きな価値をおく考え方です。

これは一種のワ○ピース的世界観といってもいいでしょう。

人がお金に嫌悪感を抱くのはこうした政治空間における価値観を壊すからだったのです。

 

それでも人はなぜお金に嫌悪感を抱くのか

ここまでがわりと一般的な話で、今回のマネタイズ問題の争点は「価値と信用をどこまでお金に変換するか」ということだと思います。

自分が創り出した価値と信用が一定水準を越えるとある程度お金に変換できるのですが、情報の非対称性を利用したりテクニカルなことをやれば、短期的には自分の生み出せる価値以上にお金を手にすることができます。

マネタイズ批判派が言いたかったのは、「自分のもってる価値と信用以上にお金を得ようとしてんじゃねえ!」ということだと思います。

なので長期的には価値×信用>お金の状態を保ちながら、個人事業なり副業なりを続けていくのがいいのではないでしょうか。

目の前の女にガッツついてはいけないように、目先のお金に飛びつかないことが重要です。

 

政治空間と貨幣空間のバランスを考える

長々と書いてきましたが、結局僕の社会資本に関する結論は、

・政治空間は彼女(愛情空間)のみ

・友情空間は基本的にいらない

・貨幣空間は広く緩いつながりを

です。

理由はシンプルで政治空間よりも貨幣空間の方が個人の自由と相性がいいからです。

それに利害が一致するからある程度信頼できるし、その方が確認したりチクチク言ったりコストも減らせるし、余計なことを考えなくても済むので視界がクリアになります。

個人がそれぞれ目的をもって、利害が一致すれば一緒にやって各々貢献する、そうでなければなにもしない。

ただそれだけ。

世界は意外とシンプルなのです。

 

 

おしまい

 

参考文献