微動な人にも備わっている「多動力」
僕は多動というより微動な人間です。
常にめまぐるしく動いていろんなところに出かけているわけではありません。
動きすぎると疲れるからです。
特に人混みに行ったり、新しい人と何人も会わなければいけないところにずっといると、めちゃくちゃ疲れます。もちろん楽しいですが。
おそらく自分は外部からの刺激に敏感な人間で、1行動したら10くらい刺激を受けて抽象化してそのなかから3くらいの学びを得るタイプなんだと勝手に思ってます。
線形的な発想で行動を5に増やしたら学びも15になるかというとそうでもなくて、むしろ疲弊したり、思考が追いつかなかったりで、学びが3→1に減ることすらあるんですよね。
まあ要するに行動が増えすぎて集中的に調べたり考えたりする時間がなくなると僕はアホになるんです(笑)。
一方で俗にホリエモン教と呼ばれる意識高い系ビジネスパーソンは「おまえ多動力知らねえの!?早く読んだ方がいいぞ」などと言いながら、シンプルに自分の集中力がない言い訳として「多動力」というワードを多用します。
彼らにとって「多動力」は自らの集中力のなさを肯定するためのツールなのです。
しかし、僕は多動力と集中力と相反するものではなく補完的なものだと思うんです。
多動力か、集中力か。
こうした架空のトレードオフほど「うんこフレームワーク」の典型です。
もちろん1日中集中できるに人間などこの世の中には存在しないので、集中と散漫(多動)を上手に使い分けることが、苦労せずして生産的な時間を最大化するには重要になってきます。
例えば、意志力がMAXな早朝は戦略や方針策定などの思考系タスクをあてて、意志力が枯渇する夜は顧客との接待にいく、などです。
つまり多動力は集中力と相反するものではなく、多動⇔集中を繰り返して互いを補完しながら、生産的活動の量と質を上げていくものなのです。
そう思ったからこの本を手にとったのですが、やはり僕の理解は合っていました。
「多動力」とは何か。それは、いくつもの異なることを同時にこなす力のことを言う。(多動力, 堀江貴文)
僕はそれなりに女を口説いたり、株を買ってみたり、個人的にコンサル案件を請け負ってみたり、いろんなことに手を出しているという意味では多動力を発揮しているっぽいです。
物理的に動いていなくてもマルチタスク的にいろいろやってれば「多動力」なんですね。
というわけで、ナイトプールで「ウェーイwww」とかやりながら、それを「多動力です(๑• ̀д•́ )✧ドヤッ」と都合良く解釈することをたった今から禁止します(笑)。
「パリピがアクティブな消費的活動をたくさんやること=多動力」ではありません。
昔は人口増加や経済成長のおかげもあって、まじめに一生懸命頑張る量産型人間であればそれなりに価値を生むことができましたが、マジメが取り柄な人間はオワコンの時代になりつつあります。(社会人1年目に多いですねマジメ人間。。。)
興味ある分野にのめり込み、一定以上のスキルを身につけて、次にいく。
さらには異なる分野をいくつか繋げてみて、新しいものを創る。
こうした動きができる力こそまさに多動力であり、他人に貢献しながら楽しく生きるコツなのかもしれません。
僕はそもそも「アイデアを見つけたい」「人脈を広げたい」なんていう頭でっかちな考えをもって日々を過ごしてはいない。おもしろい人たちとおもしろい時間を過ごす。その結果、偶然のようにアイデアが生まれ、仕事につながり、遊びにもつながる。(中略)何か具体的な目的のための手段として人生を送ってはいけない。楽しむことだけがすべてなのだ。好きなことを好きなだけやっていると、手元に何かが残っているのだ。(多動力, 堀江貴文)
参考文献