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9割の人が陥る「うんこフレームワーク」とはなにか

数えてみたところ、僕はこの1週間の間に「うんこ」というワードをWeb上に10回以上打ち込んでいた。

これほど「うんこ」と言ったのは、小学2年生のとき以来だ。

小学生はなぜ「うんこ」を連呼するかというと、それは「うんこ」がなにげない日常生活の一部であるにも関わらず、気軽に口走ってはいけない違和感を感じているからである。

それをあたかも「おはよう!」みたいな感覚で、自然に「うんこ!」と声高に叫ぶことで違和感を解消し快感を覚えているのだ。 

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「うんこフレームワーク」も同じだ。

「言語化されていないなにかをラベリングするとみえるものは変わる」とよくいうが、

この「うんこフレームワーク」も僕が日々感じていた違和感の解消を促してくれたのである。

 

そもそも「うんこフレームワーク」のオリジナルは芳野さんである。 

 

これを機に僕は日常生活で目にする「うんこフレームワーク」に気づくようになった。

 

・好きか、嫌いか

・正義か、悪か

・お金か、やり甲斐か

社畜か、起業か

・外見か、内面か

リア充か、非リアか

・自分の幸せか、誰かの幸せか

 etc...

 

これらは全て「うんこフレームワーク」である。 

世の中はうんこ…ではなく、「うんこフレームワーク」に溢れている。

 

そもそも「うんこフレームワーク」の根底は、TAKERマインドであり、ゼロサムゲームであり、等価交換の概念である。

これはある意味メタゲームがヘタクソ、すなわち既に誰かが設定したルールのうえでしか物事を考えられない、ということでもある。

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当然ながら誰かが決めた物差しは、ほとんどの場合、学歴、年収、SNSフォロワー数など数字や肩書、役職などで目にみえるようになっている。

つまり、誰かが決めた物差しによって信用が可視化されているのだ。

それでこの信用の後ろ盾はなにかというと、社会が提示した常識であり、権力をもった国家であり、教育という名の洗脳である。

原則として、信用は創造した価値によって蓄積される。

しかし、世の中の90%以上の人(もちろん自分も含む)は価値と信用ではなく、この可視化された数字や文字列の方にブンブン振り回される。

あげくの果てにはこの数字や文字列が目的化し、自分に幸せや情熱を捧げる大切なものさえ見失う。

 

皮肉にもお金が嫌いな日本人が信じる学歴や年収といった物差しは、お金だけを目的にする与沢系情報商材屋とさして変わらない。

 

まとめると「うんこフレームワーク」とは、社会に提示された価値基準(表層的な数字や肩書き)にとらわれ、それゆえ架空のトレードオフに頭を悩まし、終いには全体のパイを増やすことを諦めてしまう思想なのである。

 

結局のところ「うんこフレームワーク」のもととなっているのは、中央集権的な構造である。

中央の権威によって、提示された価値基準に皆が従っているのだ。

そして、ビットコインを始めとする分散ネットワークによって、この中央集権的な価値感はここ数年で急速に変化していくだろう。 

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僕たちはもう、新しい「つながりの創造」大激戦のまっただ中にいるのだ。それに乗り遅れることは、社会的な死を意味するかもしれない。(なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?, 山口揚平)

 

おしまい

 

参考文献