メタゲームを覚えると人生はイージーになる
メタゲームとはゲーム外のゲームである。
広義の意味でこれから参加するゲームとそのゲーム以外の全体の傾向をふまえて、あらかじめ策を講ずることをいう。
例えば、出会いエンジンの場合だとどの出会いエンジンを選ぶか、というのがメタゲームの考え方である。
金曜日の夜にコリドー街でナンパしようものならレッドオーシャンに巻き込まれるが、平日にずらしたり、コリドー街ではなく有楽町の方で声をかけたりすると女の子の相対的価値がつり上がってなくてうまくいったりする。
それで先日GW中に開催される某イベントに参加してきたのだが、極めてイージーなゲームだった。
ナンパは「いかにして声をかけるか」よりも「どこでナンパするか」で勝負が決まる好例だったのだ。
別にとてつもなくスキルフルな凄腕ナンパ師にならなくても、偏差値60くらいのスキルを身につけて、メタゲームさえうまくやればそこそこかわいい子とセックスできるし、そこそこかわいい彼女もできるのだ。
しかも偏差値60から65や70にもっていくにはとてつもない労力が必要だったりする。
一般的な学習曲線は、練習を始めたばかりのころは悲惨だが、スキルのうち特に重要な要素を習得するのにともなって急速に上達することを示している。短期間のうちにスキルが一定の水準に到達すると、上達の速度は低下し、その後の上達はかなり遅くなる。(引用元:たいていのことは20時間で習得できる忙しい人のための超速スキル獲得術,ジョシュカウフマン)
これは仕事にも同じことがいえて、「いかにうまくやるか」よりも「どこでやるか」が大事だったりする。
例えば、会社の仕事に比べて個人の案件は単価が高い。※あくまでも主観です
これは決して個人事業や起業に限った話ではなくて、会社のなかであってもロジカルターミネーターのような役員を相手にするプロジェクトよりもほのぼの系の情報システム部部長を相手にするプロジェクトの方がやりやすいし、ボスキャラで固めた花形部署よりも雑魚キャラ寄せ集めの新設部署の方が評価されやすかったりする。
僕らは小さい頃から受験やスポーツといった既に定められたルールの中で競うことがよしとされるので、こうしたメタゲームがとても苦手である。
いい年したおじさんでもこのことに気づいてない人はたくさんいるし、こうした発想を悪とする人さえいる。
彼らは、目の前の与えられた問題を解くというゲームは得意だけど、そもそも人生とは、どういう問題に取り掛かるのかを決めるメタゲームの部分で成功のほとんどが決まってしまい、このメタゲームが非常に不得手というか、その存在にすら気づいていないことだと思います。(引用元:週刊金融日記117号「メタゲームを理解する」)
それでこのメタゲームをうまくやるために必要なのは、結局のところ「えっ、てかそもそもこれに参加する必要あるんだっけ?」という一歩引いて俯瞰できるかだ。
具体的には、①自分を客観視する、②知らないことを知る、③その概念自体がなにかを問う、④上位の目的を問う、⑤抽象化する、などである。
頭がいい人はどうやらメタ思考な人のようだ。専門的知識がすごいとかそういうアプリケーション的なところとはそんなに関係ない。まったく別の筋肉。 pic.twitter.com/KMjh4WwleO
— オンク (@it_warrior_onc) 2017年12月14日
この発想ができるだけで、競合だらけの厳しい闘いに身を投じなくて済み、意外と簡単に目標を達成できたりする。
人生の第一目標を女と金から自由になることと定義すると、まず特定分野における偏差値60点以上のスキルをいくつか身につけて、あとはひたすら歪みをつけば近道できるのではないだろうか。
おしまい
参考