100人斬りプレイヤーがVRアダルトを体験してみた感想
ある日、僕の元にOculus Goが届いた。
いわゆる今流行りのVRヘッドセットだ。
GoRoman氏のツイッターをみて衝動買いしてしまった。
早速起動すると、そこには僕が何度も訪れている沖縄のブセナテラスからみえる海よりもきれいな海が広がっていた。
見渡す限り美しすぎる青い海と空、白い砂浜がどこまでも広がっている。
僕は思わず走り出しそうになった。
気持ちはビーチでもここは本棚とパソコンだけが置かれた小さな書斎である。
VRは今ではゴツくてキモいのだが、もしこれがおしゃれなメガネサイズになったとしたら、間違いなく世界が変わると思った。
会議、ナンパ、オセロ...リアルな空間でやる必要のないことはVRに置き換わる。それに伴い、移動すること自体も減ってくだろう。
そして、どうしてもリアルな空間で顔を合わせなければできないこと、リアルな空間で会うことの価値は高まっていく。
攻殻機動隊のような世界が本当に訪れようとしているのだ。
VRヘッドセットを買ってまず体験してみたいことがあった。
それはoculus roomsでオセロをやることでも、Unityでサンプルを動かすことでもない。
そう、VRアダルトである。
こ、これはVRが恋愛に与えるインパクトを調べる調査であり、決して私利私欲によるものではない。
そう自分に言い聞かせながらDMMのサイトにアクセスし、ランキング上位の作品を3つほどポチる。
これはあくまでも調査だ。
3つ買ったのは複数のジャンルにおいて検証するためであり、決して私利私欲によるものではない。
再び僕は自分に言い聞かせた。
…
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大多数の男にとって女は不要になるかもしれない
↓VRを手にした一般的な男性が下すであろう評価↓
美人>>>VRアダルト>ちょいブス>インターネットポルノ>ブス
ほとんどの男にとって、恋愛とは性欲の解消7割、その他の貢献感3割がパッケージ化されたものである。
性欲の解消7割。
ここにおいては、VRアダルトは極めて高いクオリティを発揮できるのだ。
リアルな世界では絶対に会話すらしてもらえないような美人が真正面から目を合わせ、語りかけ、チョメチョメしてくれるのである。
誰がセックスさせてくれるかもわからないちょいブスを食事に誘い、ちょいブスのつまらない話を聞き、ちょいブスの「まだ出会ったばかりだし」というグダグダをやさしく受け止める。
VRアダルトを手元にした状況で誰がこうした非生産的なボランティアに手を出すだろうか。
おそらくTENGA連動型VRポルノが完成した瞬間から人類滅亡へのカウントダウンが始まるだろう。
セックス自体の価値はなくなるかもしれない。
男がチ○コの向こう側、女はマ○コの向こう側を定義しなおさなければいけないフェーズが本当にきつつあるのかもしれない。
VRアダルトの弱点
特に危機感が大きいのは女性の方だろう。
しかし、僕は今回の検証を経て、小さな希望を見出したのもまた事実である。
VRアダルトの弱点をみつけたのだ。
結局のところ恋愛というのは、非合理さが大切なのだ。性欲解消についての合理的を極めた先に恋愛の良さは失われる。
最後にこれを女性が目指すであろうマ○コの向こう側を定義するうえでの示唆としてまとめておこう。
1.淫乱すぎる
コンテンツはメディアによって規程される。
となると、やはりどの作品も淫乱すぎるのだ。
リアルな世界で自分を磨いてきた自分にとってはどの作品も非現実すぎるのである。
実際にここまで淫乱な女の子ばかりでないのが現実だ。※もちろんときどきいる
仮初めの非日常よりもどこまでも続く日常をいかに楽しめるか、の方がエンタメとしてはクオリティが高いのでないか。
リアルに勝るエンタメはないのだ。
2.完成度高すぎて逆に人工ぽい
目鼻立ちの整った顔にバッチリメイク、ほどよくくびれた腰にふくよかな胸。
完璧すぎてどうも人工ぽいのである。
それは目の前の合理性を突き詰めた結果、機能は満たすが何の面白さもないプロダクトやサービスができる現象に似ている。
恋愛とは非合理なものであり、それが返って合理的なものだったりする。
3.勝手に服脱ぐので脱がせてあげられない
多くの男はしてもらうことばかり考えているが、貢献したい側の男にとってはやはり物足りないだろう。
片手でブラのホックをはずす血のにじむようなトレーニングをしたにも関わらず、それを発揮する場がまったくないというのも由々しき問題だ。
4.おしげもなくお尻を顔にぶつけてきすぎ
目の前にお尻をもってこられても目のやり場に困るというか恥じらいがゼロすぎて、違和感がすごい。
人間には希少なものほど価値を高く感じる習性がある。
お尻の希少性がVRアダルトには皆無といっていいだろう。
5.すぐ飽きる
諸行無常。まわりの世界も人間も絶えず変化している。
リアルには同じ状況というのは二度とないのだ。
リアルでは繰り返し映画を観たり、音楽を聴いたり、恋人に逢うことで新しい気づきがある。
逢う度に恋人の新たな素敵なところに気づけるというのはうれしいものである。
これは関係が続いている限り、何歳になってもいえるだろう。
というわけで、ちょいブスのみなさん、努力次第ではまだなんとかなるかもしれません!
おしまい