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マッチングアプリへの違和感

いまやマッチングアプリで出会った男女が結婚するのも珍しくなくなった。

インターネットを通じて男女が出会うこと関して、かつてモバゲーやスタービーチが醸し出していたような如何わしさはもはやまったくないといっていいだろう。

今この瞬間にも凄まじい数の男女がスマホから異性を条件検索し、いいね!することでカジュアルに出会っているのである。 

 

マッチングアプリが恋愛市場に起こしたイノベーションとは

マッチングアプリはある意味恋愛においてイノベーションを起こした。

その最大の功績は「出会い」のフェーズをなくしたことである。

これは我らが使い倒してる普遍的なACSモデルでいえば、「魅了する」Attractフェーズをなくしてしまったことに他ならない。

ACSモデルとは、出会ってからセックスするまでをフェーズ分けしたモデルで、以下の3つのフェーズから構成されます。
1)Attractionフェーズ
魅了するフェーズです。出会って話しかけてから30分〜1時間くらいにあたります。
2)Comfort Buildingフェーズ
信頼関係を築くフェーズです。デート中や連れ出し中にあたります。
3)Seductionフェーズ
口説くフェーズです。家やホテルなど2人きりの場所に移動してからセックスするまでにあたります。

 

この根底にある思想は、恋愛における出会いの合理化だ。

マッチングアプリでは、条件を指定することで恋人候補をスクリーニングする。

年収1,000万以上、身長180センチ以上、都内在住、イケメン...といった具合に条件を入力し、条件に見合う「理想の恋人」のみにいいね!する。

あたりまえだが、こうしたプロセスを踏んだとき、先にあげた合コンの出会いのような不確実性は低下する。(もちろん写真詐欺によるブスリスクがあるが、それをサプライヤー側で解決する東京カレデートというアプリもでてきている)

もちろん今後もこうした不確実性を減らし、条件を満たした相手とだけ食事にいけるような出会いエンジンは増えていくだろう。

逆にこの条件面を整えられない人間や魅力的なプロフィールをつくれない人間には厳しい時代になりそうだ。

 

恋愛は非合理的な活動である

しかし、よくよく考えてみると、恋愛というのは極めて不合理な活動である。

どこの馬の骨ともわからない女と出会い、いつしか互いに惹かれ合い、男女の仲になる。

そして、ものすごく頭の良い経営者が女のために自らの合理的判断ではありえないような高価なプレゼントや高級なレストランに手をだすこともあるし、女はミュージシャンを夢見る年収300万のどうしようもないダメ男にハマったりすることもある。

ただ「セックスをしたい」、「子供がほしい」、「結婚をしたい」という機能的価値のみを追求するならありえない行動だ。

にも関わらず、僕らはこうした不合理な行動をとっているときこそ、恋愛に対する情緒的価値を感じ、なんとなく幸せな気分になる。

こうした「人の不完全性を受け入れる」という側面が恋愛にはある。

 

おそらく恋愛における価値は、機能的価値よりもむしろ情緒的価値である。

そしてこの情緒的価値は、非合理な行動から生まれる。

非合理な行動が文脈をつくり、文脈が物語をつくり、物語が意味を後付けする。

僕がマッチングアプリに違和感を感じたのは、こうした合理的な思考だけでは辿り着けないであろう価値を既存していからである。

「理想の恋人」の入力条件は用意されたとしても、それを満たす完全な人間などこにも存在しない。

 

未来の恋愛によってもたらされる価値とは

ありとあらゆるものがテクノロジーで合理化されてく一方で、「合理化」によってなし得ない価値が高まっていくのではないだろうか。

目的のないコミュニケーション、価値観、好奇心...etc

モテ男2.0におけるオリジナルな関係性とは、機能的価値だけではない情緒的価値がグラデーションのように複雑に入り混じった関係なのだろう。

 

 

おしまい

 

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